影郎氏個展
あまりうまく伝えられる自信がない・・・
濃密なメールのやりとりなど色々ありました。
全何回になるのか、果たして完結させれるかもわかりません。
少しづつ語っていこうと思います。


その1 は→(^^)/


実家に帰るのはいいがどんなメガネ屋さんにしようか?

その時の僕は実家に帰るまでの期間見聞を深めるために
勤めていた会社を辞め流浪の身でありました。

流浪の身と言っても
じゅん(のちに嫁となる)の働いているイタリアンレストラン
ゆかいな後輩がマスターをしている
アド HIRO3
BARを手伝って食いつないでいました。
サブサイド内装
札幌・琴似  BAR SUBSIDE
住所は西区琴似2条2丁目新宿会館2F
(ちなみに1Fはソフトバンクshopです)
TEL011−642−0200



僕は日々漠然と考えました。

今までは量販店で働いていました。
安いセット商品から高いブランド商品までを取り揃えている店です。
ブランドと言っても洋服等を作っている海外と国内のブランドが
ライセンス契約をしてメガネとして販売されている商品です。
専属デザイナーが作り続けるハウスブランドとは違います。
一部メガネデザイナーがデザインした物や
ヨーロッパブランドも扱っていましたが
価格先行で、その良さを真に伝えらる
営業形体ではなかったと思っています。


自分の店を模索している時に

北海道でお世話になっていた(現在も世話になっています)

眼鏡卸会社のS専務が
『旭川にとても面白い店があるから行ってみたら?
 凄い形のフレームを年間200本売るんだってよ』

と言う事でまだ北海道にいた私は旭川に行く事にしました。

そして出会ったのが、恩人だと思っていますが
御本人からは友達にカテゴリーして欲しいと頼まれる
eyewearshop 北斗 のオーナーカツンドさんです。

旭川と言えば自分も担当していた地区で
大体の眼鏡屋さんは把握していました。

その場所に北斗さんがあったのは知っていましたが
これ程、こだわりを持って営業されているお店だとは知りませんでした。



その3へ続く   ?
2008年12月3日のブログで紹介した→(^^)/

横浜中華街にある“和テイスト洋服屋”の『乙と屋』さんの

オーナーが先日当店でメガネを作ってくれました^^

店舗データはここ→
(^^)/

納品した時、丁度忙しくて写真を撮れなかったのです(;一_一)

そしてら本人で撮ってメールをくれたのでブログで紹介します(^_-)-☆


フレームは FLEYE と ニコライ・バーグマン のコラボ作品

sunlight 



乙と屋オーナーは何を隠そう花柄が大好きな
メルヘンな一面を持っているのです^^



横向き
横を向いてちょいとシャイです(笑)

中尾風
そして中尾さん風ポーズ^^
捻りマフラーが足りません(笑)

横浜中華街に行ったら冷やかしに行ってやって下さい(^−^)

※ 関帝廟の斜向かいのモール「横濱バザール」(山口美江さんのお店で有名です!!)の2階の一番奥です。
(CRAZY KEN BANDのショップ「スージー・ウォン」の向かいのブースです。)

営業時間
平日:12:00〜19:00
土曜:11:00〜20:00
日・祝日:11:00〜19:00
水曜日定休





巣鴨めがね日記では

お客様のメガネ顔写真を

大募集しています!!

お気軽にメールして下さいね(^^)/

mega_k@a.toshima.ne.jp

あまりうまく伝えられる自信がない・・・

濃密なメールのやりとりなど色々ありました。

全何回になるのか、果たして完結させれるかもわかりません。

少しづつ語っていこうと思います。


その1   選択

私は北海道のメガネ屋に勤めていました。

実家を継がなければならない状況になってきました。

その時の僕はサラリーマンをしながら音楽もやっていました。

そんな中で親父が体調を崩し一人では今の店を続けるのが

厳しくなってきたと母親から電話がきました。

今、思い返しても本当に忙しかったですが

印税を頂いたり有名な方にお会いできたり

プチ業界人を体験できいい経験をさせてもらいました。

でも音楽で食べて行くには僕の才能は足りませんでした。

曲を作るスピードが第一線でやっている人たちと
比べて明らかに遅かった。

かといって仕事をやめ時間が出来たからと言って
どんどん曲ができるのか?
無理やり音楽と向き合い好きでいられるのか?
そんな不安もありました。

やはりそれで飯を食うと言う行為は
そんな簡単なモノではないのです。

結局サラリーマンをしていた頃の地位と年収を簡単に捨てられる
言ってみればバカが出来る。
そんな年齢ではなかったからでしょうかね。

思い悩む事数か月・・・

私は三代目になる事を選択しました。音楽を辞めて実家を継ぐ決意をしました。